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非汎用測定器。
前の記事の続きの話になるが、別の旧友と会うことになって、
先日の、好みのタイプを聞かれて「包容力のある人」と答えたこと
(それがどういう種類のことかも含めて)を話したところ、彼女は
「……それって普通のことなんじゃない?」
と、驚いたような呆れたような返事を返してくれた。

それはむしろ「人として」の条件というか人間性として求めたいところであって、
好みのタイプだとかはその上に存在するんじゃないか、と。
なるほど。
そう考えると、それだけで恋に墜ちたり、親しい友人にならないのは
至極当然と言えるかもしれない。
というか、いよいよ、常日頃考えている「私の周りの人間がひどく偏っている説」について
判決を下さなければならないのかもしれない。

どういうわけか、彼女と話していると、特にそれを感じることが多い。
以前も、性別による大雑把な性格の違いなんかを話していて
随分と意見が食い違ったことがあった。
尤も、彼女と私のものさしが大きく異なっている可能性もあるけれど。

ただ、私が求めているモノは、或る程度、相手の内面が見えないと判断ができないことで。
そこまで近しくなった人というのは案外少ない。
そう考えると、「私の周りの人間がひどく偏っている説」よりも
「私がどういうわけか引き寄せがちなタイプ説」の方が有力かもしれない。
しかしそれでもな、とは、思ってしまうのだが。
浅いつきあいでも、わかるところはわかるわけだし。


ところで、この話題の終わりに、私が
「せめて私より心の広い人がいい」と、のたまってみたところ、
「それは難しいんじゃない?」と返された。
いや、でも、私も、実は結構狭量なので、そしてその自覚はあるつもりなので、
割とハードルは低いと思うのだけれど。
| シコウノフキダマリ。 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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