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スペシャリティ。
相手に対して「自分にしかできないこと」があるといい、と、言った人がいた。
自分の価値を外の人の評価に求める傾向にあって、
他人に(或いは、自分にとって「特別」な相手に)受け入れられることに
高い価値を見いだしているような人だった。
少なくとも、私にはそういうふうに見えた。
その人にしかできないこと、というのは、ぶっちゃけ、ないと思う。
生まれ持った特殊な(或いは際立った)能力を除けば、
どんなことも、大抵は誰にでもできることだ。
ただ、それを誰でもやってくれるとは限らなくて。
だから、その人しかしてくれないこと、というのなら、あるかもしれない。
けれど大事なのは、それをするのが誰なのか、ということだと思う。
どんなことも、その「誰か」だから意味が生まれる。

誰かにとっての「特別」になることに興味がないわけではない。
自分が好きだと感じる相手にとって(自分が)好ましい存在であったら嬉しいと思う。
けれど、私は私でしかなく、相手が私でない以上、
私にできるのは、私が大事だと思う相手に、よかれと思ってすることが、
相手にとってよいことであるよう、祈るくらいのものだ。


結局、私にとっては、

誰に愛されているか、ということより、誰を愛しているか、ということの方が重要

と、いうようなことで。


他人にどう思われているかが気にならないわけではないが、
気にしたところで、際の際では、どうしようもない、というところに辿り着く。
自分で納得できるだけのことはする。
あとは結果を待つよりほかはない。
それが、他人と関わる、ということの楽しさと、難しさだと思う。


誰かを大事だと思うのは、その誰かが「何かをしてくれるから」ではない。
それは、そのまま「『好き』ってどういうこと?」という疑問に繋がる。
それについてはまた。
| シコウノフキダマリ。 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(1) |
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電気信号。
「俺の(私の)どこが好き?」 ということを聞いてくる人がいるけれど、 私はこの質問にも答えることができない。
| ジェゼベル ノ シンゾウ | 2005/08/24 2:53 AM |