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大人気。
店頭POPなんかに「大人気」と書いてあると、つい「オトナゲ」と読んでしまう。
 
「オコサマ」ということについて何度か書いてきたけれども、
この「オコサマ」という表現は、「コドモ」「オトナ」という
境界の曖昧さを感じずにいられない表記に替えて、使ってみているものだ。
そして、この「オコサマ」に対して「非オコサマ」な意味をとる
「オトナ」に替わる表現を考えてみたのだけれど、
仮に「オトナゲがある」とでも言ってみようかと。

語感が良くない上に、結局、私が勝手にそう考えているだけで、
境界の曖昧さという点では、ちっとも解決はされていないのだけれど。
まあ、そういうことだ、ということで(なんだそりゃ)。

で。
そんな表現はないのだが、「オトナゲがある」、ということのが、
私がヒトに対して好印象を抱くかどうかの1つの指標となっている。

私にとって「オトナゲがある」(=「オトナゲなくない」=「非オコサマ」)というのは、
20041124キャパシティ。でも書いたけれど、
寛容とか冷静さとか理不尽でないとか短気でないとかいったものだ。

先日、私が「オコサマ」を弾劾(?)していることについて
自分のことを棚上げしてるといった評をいただいたのだが、
確かに私だって、この「自己に対する理想」を完全にカヴァしてるとは言い難い。
というか、自己に対してはあまりに理想が高すぎて、
多分、一生、到達できない、常に要努力の領域だ。

けれど、少なくとも私は、自分にできないことをヒトに望んだりはしていないつもりだ。
頭ごなしに自分の思想を押しつけるとか、すぐ拗ねるとか、
不機嫌が長く収まらないとか、理不尽に怒るとか、口ばっかりとか、
気が立ってる相手に火に油を注ぐような真似をするとか、
反省しても同じことを何度も繰り返すとか、つまらないプライドで波風を立てるとか、
そういうことはしていないつもりなのだが。
或いは、反省と学習によって改善しているつもりなのだが。
違うのだろうか。私の自己認識は甘いのだろうか。

まあ、なんていうか、私が深く関わった男性には、
そういう人が結構いた、ということなんだけど。
……話が繋がってるようで繋がってないな(苦笑)。

ヒグチアサ氏の「ヤサシイワタシ」に
「できる人ができない人にできないことを責めるのはよくない」
というようなセリフがあって、それはそうだと思うのだけれど、
そういうところの価値観が大きく異なる人と深くつき合えるほど、今の私に余裕はない。
というか、私の許容のベクトルが、そちらにはもう働かない。
せめて「相手の嫌がることをしない」という価値観くらいは同じ人と一緒にいたい。

前回書いたこととも重なるが、穏やかに、楽に、生きていきたいと思う。
楽しくない刺激は欲しくない。
ヒトと関わっていながらそれを望むのは無理があると、わかってはいるけれど。
| ココロノオリ。 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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