<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 第三の性。 | main | 腐女子道。 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
やおい道。
「やおい」とは「やまなし おちなし いみなし」の略で、
転じて、女性向けホモのエロシーンをさす。
どうして、そう転じたかと言えば、これは私の推測だけれど、
かつて「アニパロ」などと呼ばれた「二次創作」(既存のアニメ、漫画、小説などの作品の
 設定だけを借りて、新たな漫画や小説などの作品を創ったもの)同人誌において、
ストーリはさておき、エロシーンをメインに描いた(というか、それしかないかも《苦笑》)
作品・本が多数作られたことからなのではないかと。

エロシーン或いはエロ描写そのもののことを「やおい」と呼び、
それがメインだったり作中で大きく扱われている作品のことを「やおい本」と呼ぶ。
メインではないけれど、そういったシーンが含まれるものは
作品紹介に「(や)あり(実際には括弧ではなく○囲みの『や』)」と書かれたりする。

当然、オリジナル作品でも「やおい」の単語は通じるのだけれど、
ここでは「二次創作」(ニアリイークォール「同人誌」)について主に語ると思っていただきたい。

さて。
「やおい」の有無には微妙に関わらないかもしれないが、
男同士のキャラクタの組み合わせ(コンビ?)を「カップリング」と呼ぶ。
深く考えれば不思議な表現だけれど、気にしない(笑)。

更に、各カップリングにおいて、同性愛で言うところの、
「男役」「たち」のことを「攻(せめ)」と言い、
「女役」「ねこ」のことを「受(うけ)」と言う。
そして、●●×▲▲という表記をするのだが(●●などはキャラクタの名前)、
この際、先に置かれたキャラクタ(この場合は●●)が攻、
後に置かれたキャラクタ(▲▲)が受、というルールが存在する。
「×」が省略される場合もある。キャラクタ名が略される場合も多い。

ただし、これ(攻・受)は純粋に肉体的な(つまり、挿入する側か、される側か、という)
要素だけで決定するのではなかったりする。
つまり、肉体的には「攻=ヤる側」だけれど、
精神的には「受=愛される側」、というような思考が存在するのだ。

二次創作の場合、既にキャラクタの基本設定は決まっていて、
それを(少なくとも、例え勘違いにしても、自分が認識した設定を)犯すことができない。
それによって、「このキャラクタ、どう考えても受なんだけど、
 どう考えてもヤられるよりヤる側なんだよねー」と考え至った場合などに、
この思考が適用されるというわけだ。

ヘタレ攻め、誘い受け、などという存在(表現)も、この思考の派生だと思う。
非常に微妙で複雑でわかりづらくて、しかも一概に言えないのが恐縮なのだが、
言葉のニュアンスから、なんとなく想像していただきたい。


実はここからが本題(これまでは「やおい」解説だからね)。

私のような腐女子は、好きなオリジナル作品において、
好きなキャラクタと、カップリング(つまり好きなキャラクタの相手)を見いだす。
そして、その選び出された2人について、どちらが攻でどちらが受かを選定する。

最近、そうでもないらしい例が周囲に増えたので、一概には言えないのだが、
少なくとも私は、自分の好きなキャラクタを受にする傾向にある。
というか、私の場合は、まず間違いなくそうだ。
他の全てのキャラクタを攻と考える(妄想する)場合も少なくない
(因みにこれを「総受」と呼び、逆は「総攻」と呼ぶ)。

自分の好きなキャラクタは「愛される」側であって欲しい。
おそらく、そういう思考回路なのだと思う。
肉体バランス的に無理があっても、それは気にならない。

特定のキャラクタを好きになる時に、
そこにあるのは、或る種の「憧れ」であると思う。「理想」と言ってもいい。
それは「こういう人に愛されたい」かもしれないし「こういうふうになりたい」かもしれない。

そして、先のように「好きなキャラクタは『愛される』側」という私の思考は、
後者型の憧れからくるものだとも考えられる。
つまり、好きなキャラクタに自己投影して、前回引用した
「『男になりたい!』でも『男に愛されたい!』」という矛盾した願望を
妄想内で実現しているのだ。

だから、もしかすると、好きなキャラクタを攻にする人は、
前者型の憧れを強く持っているのかもしれない。

ところで、ここで、1つ問題が発生する。
果たして私は、好きなキャラクタだから受にしたいのか。
受になるようなキャラクタを好きになるのか。

改めて、自分の好きな作品の、好きなキャラクタ達を検証してみたのだが、
ほぼ100%、好きなキャラクタは受認定だった。
考えれば考えるほど、私の中で彼らは「受」としか考えられない性質を持っている。
それは例えば、孤独な一面を持っている、とか、
彼にとっての一番が、誰か(人)ではない、ということだったりする。
ただしそれは、オリジナルにわかりやすく設定されているものではなく、
行間を読み取るようにして認識したキャラクタ設定であることも多い。

鶏と卵の問題のようでもあるし、結局、最終的な結論は出せなかった。
わかったのは、「総攻」の条件とは「博愛」だ、ということくらいだ。
暴力と博愛が密接な関係にあることを考えると、
この結論は、それはそれで興味深いのだが。


そして、この話は、腐女子の業とでも言えそうな、
とんでもない話に続く(笑)。
| シコウノフキダマリ。 | 00:00 | comments(4) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 00:00 | - | - |
>KANさん

<対となる二つの事象

解説ありがとうございます。理解しましたー。
心臓はリバ、という考えはダメですか?(笑)。
脈打ちを攻と受とするならば、循環器たる心臓は
自分で自分を攻めていて相手がいない、ということになるので、
確かに自己完結した存在ですね。
でも心臓は他の機関と影響しあっているですよ。

カップリングするから攻受が生まれ、
やおいが生まれるのであって、逆はないように思います。
しかしながら、事項「腐女子道」に書いたような
記号化による攻受決定ゲームの際にも、
おそらく想定している性が女性でないことは、我ながら興味深い事象です。
今更気づきましたが(笑)。
そんなにも女性性から離脱したいのか(笑)。

>僕、それになっちゃいましたから。

KANさんにはちんこついてるじゃないですかー。
というのはさておき。
「私の求める第三の性」は妄想の産物なので、
現実に存在したならそれはおそらく、私の求めるものではないのです。
……しまった。またロジックの罠に(笑)。
| ハルイ | 2008/02/23 5:25 AM |
>それはもう、ここに書いている通りでございますです。

ああ、スミマセン。つい女性モードになっていて本文を見逃してしまいました(笑)

>対となる二つの事象
えーと、簡単に言ってしまえば宇宙にあるもの全てを上限として、
その中から異なるもの二つを自由に組んだもの、という事です。もちろん人の妄想も含みます。

しかしそのだだっ広いやおいの範囲でただ一つ、心臓だけは範囲外です。
僕の心臓も、あなたの心臓も範囲外です。

だって心臓は一つで脈を打ち続け(攻め)
脈を打ち込まれ続けている(受け)
唯一の存在なんですから。

だから、やおいは宇宙全部を含んでいそうで、
一番必要なものがないんです。
やおいは人の想像力そのものなんですけど、
一番必要なものがないんです。

でもやおいを生み出したのは誰?
それは女性です。心臓がある存在です。
だからその全てには一番必要なものがあるとも言えます。

でも、やおいには女性がいません。
しかも必ずカップリングされています。
これは、女性が自身の心臓を否定している行為、つまり今生きている女という自分(肉体)を拒否している状態ではないでしょうか。
そのまま心臓を否定し続けれると、死んでるのか生きてるのか分からなくなりますね。


ついでに言ってしまうと、あなたの言っている第三の性(ちんこもまんこもない人間)はありますよ。でも、それ正直「性」っていう生易しいモンじゃないですよ。

僕、それになっちゃいましたから。
| KAN | 2008/02/22 8:45 AM |
>KANさん

>あなたは愛する、つまり攻めより、受けとして愛して欲しいんだと思います。

それはもう、ここに書いている通りでございますです。

>対となる二つの事象

そこのところを詳しく(笑)。

男女のストーリィで萌えることだって欲情することだってできるのに、
しかしそこで「やおい」というジャンルが生まれ、繁栄しているのは、
前項「第三の性」にも書いたように、女性が女性性(ややこしいな……)から
離脱できる、というファクタが重要なのでしょう。
それで、ジェンダーだとかフェミニズムだとかと「やおい」の発展が
深く関わっているのではないかと、個人的には考えているわけですが。

でも単にツールの一つであるという気もします。
手数の一つに過ぎないというか。
そうすると、なんていうかもう、知恵の産物というか。貪欲なだけですよね。
とりあえず、性別の枠は越えても人の枠は越えないみたいですが(笑)。
| ハルイ | 2008/02/21 7:18 PM |
>ところで、ここで、1つ問題が発生する。
>果たして私は、好きなキャラクタだから受にしたいのか。
>受になるようなキャラクタを好きになるのか。

なりたい私であり、憧れの私なのが、好きなキャラクタなのかも知れませんね。
そしてあなたは愛する、つまり攻めより、受けとして愛して欲しいんだと思います。

やおいについて、僕は対となる二つの事象における観察者の欲望と愛のパワーバランスなんだと考えています。

それは愛のみに出来るし、欲望のみにもできると思います。観察者自身の女性が、そのキャラクタ達を愛と欲望で見ている、と仮定した場合ですが。

この観察者の視点は、神にも悪魔にもなった気分じゃないでしょうか。そしてそれは唯一つ、自身の女性という肉体を除いてのみ、得られるものでは。
だからこそ、やおいというものから女性が離れがたいんだと思うのです。

| KAN | 2008/02/18 8:52 PM |









http://nod-out.jugem.jp/trackback/109